モンキーハウスへようこそ

誰の役にもたちたくない

夢と同じもので出来ている

f:id:nob9009:20170504233521j:plain「ねぇ、なにか話してよ。」なんて言われたもんだから、もうコーヒーはたらふく飲んでいて、気まぐれで頼んだフレーバがなんちゃらと書かれていたソーダは、薄めたコーラのような味しかしなくて、ドクターペッパーくらいのクセを懐かしく思い出しながら上にのぼる炭酸を眺めていて、昔タバコの煙の重さの量り方を何かの小説(ポール・オースターだったか)で読んだ。今私に炭酸の重さを量れと言われたらきっと炭酸が抜けきるまで黙っていたのであろう時間を、目の前の相手は放置されていたようで、「なにか、話そうか。」と答えた。日本人とマンガの相性の良さと、日本語の作られ方をペラペラと話して、それは私の考えでもなんでもなくて、どこかで聞きかじった知識を会話になるようにくずして練習した話を、ただたんに頭の引き出しから取り出して発声器官に空気を送り込んだだけの感情なぞ一片ものせていないただ会話する為の用意した会話でした。自分の既知の知識ををただ話すことは自分にとってなにも意味の無いことで、そこに未知の知識を含めて再構築することを進化と呼び二人以上でできたら会話と呼びますが、私のしたことはただの朗読で、肉壁に話しかける老害でした。

 

老害は夢の話をしました。舞台は学校だったのか、或はそうではなかったかもしれない。それはどっちでもいいことだ。ただそこに出て来た子は鮮明にはっきり、そうたったいますれ違ったかもしれないくらい覚えていて、彼女は、私が学校に入って一番目に好きなった子だ。まだ女性の経験も無い頃、彼女のどこを好きになったのか答えれないし、あれが恋だったのか恋ではなかったのか今でも分からない。そんな彼女が頼み事をしてきて、廊下のある階段で彼女は何段か上から私に声をかけた。私は彼女がしてきた頼み事がはっきりと犯罪だということを知っていたし、私にはそれを成功させる知識も経験もあった。彼女もそれを知っていたし、私が彼女のことを好きなことも知っている。それを逆手に取る様な計算高い子ではないと知っているし、必要としてるのは決して私ではなくて私の知識や経験で、相手は誰でもよかったと知っている。「僕はそれが正しいことならばいくらでも手は貸す、けれど君がしようとしていることは正しくない」と童貞100%のような言葉を吐いた。これが夢でよかったと思っている。彼女は対してショックを受けた様子は無くて、きっと次に力を貸してくれそうな人を当たるのだろう。

 

家から20分くらい車を走らせた所に喫茶店があって、ここは学生のころに二人の友達に教えてもらって、その二人はもうそこには住んでいなくてずいぶんと静かな場所になった。そこで出されるアイスコーヒーの氷は1つだけコーヒーを凍らせた氷が入っており、何度も見てもおしゃれだなと思う。そのコーヒーの氷は少しだけ他の氷より早く溶けて夢みたいで夢が終わらないようにその氷が解けきる前に飲みきるようにしている。ソーダの炭酸が抜けきるのとコーヒーの氷が溶けきるのはどちらが早いのだろうか。私の沈黙とどちらが長いのだろうか。答えは簡単だ。旨いうちに飲み干せだ。とてもシンプルで、とても親密で、とても正確だ。