モンキーハウスへようこそ

誰の役にもたちたくない

町に沈む

朝目覚めて現実と夢の境のまどろみの中、一日の予定を立てるのが好きで、その通りに実行できたことは一度もない気がする。週末ささやかな歓迎会が行われ、仕事の仕方について軽い指摘とツッコミをいれたらずいぶんと厳しいねと言われたので黙ることにしました。それからは隣のおじさんがノリで頼んでた2Lマッコリをただ無心で消費することにいそしんでいた。

会社に置いて来た車をとりに父に乗せて行ってもらう道すがらゴルフ場に寄られ、睡魔とアルコールの残った体にむりやりクラブを握らせ、当初の目的を思い出したのは200発ほど打ったころでした。帰りにガソリンスタンドに寄ったものの給油口の開け方がわからず父も電話が繋がらなかったので、空っぽのままのガソリンで走りだし、空っぽの心にセブンイレブンのアイスカフェラテを流し込んだ。180円

 

名古屋で5年過ごし、自転車、電車、バスを人並みに使えるようになってきて、それなりになじみの場所ができて、心地いい自分の居場所を作れるようになった。そういうものに名前をつけてそっとふたをして置いて来た。

実家に戻って来て生活環境が大きく変わりました。車が必須の田舎で、通勤もなにもかもが車。場所から場所までの移動がすべて車で行われるので、街の空気や、すれ違う他人の服装、表情をみたり感じることがなくなって、この時間はあの道が込むから、あそこを通ろうだとか、そういうことばかりを考えるようになっている。通勤では必ず渋滞にはまり、ドブに溜まった泥のように動かない。ずうぅっと胸になにかが沈んでいく気分に呑み込まれないように落語を聞くことにした。自分の通った軌跡が残らず、減っていくガソリンメーターと増える走行距離だけ。すり減ることがなくなった靴底をみてすこし寂しくなりました。

 

読みかけの小説を読み終え、少しだけ感想を頭のなかにメモをしておいた。おススメの小説は?ときかれれば必ず同じものを薦めるようにしてる。薦められた本を素直に読む人間はいないとおもっていて、聞いた人間もそこまで覚悟して聞いている訳でなく、今日一日何をしていましたか?どのように過ごしましたか?といった全然興味ないだろうけど聞いてくる。過ぎる為の時間があるように、会話する為だけの会話がある。それくらいの質問。その人間にいちいち合ったものを考えて薦めるのはとても疲れることだし、興味もないので、決まったものをいつも同じ口調、説明で同じ言い回しで、目も合わせず台本通りに上手に答える。

隠居を英語でいうとカントリージェントルマンと言うそうで(たぶんまちがっている)、べつの言い回しで陸沈と言うそうです。人が一生にできることはなどは限りがあって、それなら早々と隠居して盆栽を作り、すなわち自分の愛しているものだけと向き合う暮らしをするのがいいということを町に沈むと言う。

 

社労士から届いた手紙をあけ、内容を確認して郵便局にだしにいって、ユニクロでポロシャツを二枚かって、本屋に行くのは諦めてアマゾンで購入することにした。朝考えていた予定にはないことが大半。

一人暮らしの時分から1L入りの野菜ジュースを毎週かってきて、毎朝平日に5等分してのんでて、それを実家でもやってみたら、コップの大きさが変わったか分からないけど、4日で空になった。 今自分が向き合うこと、置いて来てふたをしてしまっている感情や、 放置されたままになってる関係やらを、5分の1だけ町に沈めてしまった気持ちを、余裕ができたコップ一杯分すくって考えた