モンキーハウスへようこそ

誰の役にもたちたくない

空も飛べない女は女じゃない

f:id:nob9009:20160508132640j:plain

これで三度目のドタキャンかと指を折りながら数えてみたが、まだ折る指が残っていたので怒るほどのことでもないなとスケジュール調整をしました。その子はインターネットで知り合い、性格的な相性なのか、相手がお金持ちの美人なお嬢様なのか理由は知らないが、だらだら気まぐれでやり取りをしてたらかれこれ一年が経とうとしていました。とあるパチンコ店を経営している一族とのことでコリアンか?と聞いたらスイス人とのクォーターとのことで、なるほどと思った。この一年強姦にあったり、結婚詐欺にあいそうになったりと大変な経験し大学を卒業した。精神的な拠り所にされている節があり、こんな根も葉もないような人間をどう拠り所に出来るのかというのか。一度目のドタキャンの理由は忘れた。二度目は低糖症で病院搬送、三度目は熱がでたとのことで、四度目はなにかと期待せずにはいられないようで、五度目は折る指がなくなる。そのとききっと寂しくなる。ある意味濃厚な一年を過ごした彼女と自分の一年の薄さを比べるようなことをする程愚かでもない

 

無職になり二ヶ月半が経つ。特にすることもない日々やたらと朝早く目が覚めるので、精神の澱みを酒や女でごまかすのでなく信仰で押さえようと思い近所の神社に参拝しにいく習慣をつけました。自分のメンタルは思っていた程強くもなく徐々に蝕ばられていたようで、その結果として性欲が死んだ。自由というのは人間には過ぎたもので、過ぎた自由は人間に人間の想像力の小ささを知らしめる。ルールで縛ってあげること、不便を与えてあげることは、人間の弱さに立脚した優しさであって、何をしてもいい休日を与えられて部屋の中で何もしないことは、人間の生き物としての弱さと向き合い続けることと同じでした。

実家にちょこちょこ寄生しながらだらだら過ごしていたが少しずつ居心地が悪くなってきたので東京にでかけることにしました。特に得るものなかったのですが、捨てるものもないなという感想。東京に興味がなくホテルのチェックアウトぎりぎりまで部屋で過ごし、出て行かざる得ない状況にならなと観光にもでかけれない。東京はきっと住んでみないとその良さが分からないくらい人が多く、幻惑から抜け出したい思いで人ごみをかきわけ、なれない電車にのりたどり着いたのが明治神宮でした。砂利道を一足しかもってこなかったブーツに心のなかで悪態をつきながら歩く。短歌の書いてあるおみくじを引いて大切に胸ポケットにしまい込むと、ふたたび来た道を戻った。

人間関係というのは空気を送り込めばまた燃え上がる灰をかぶった炭みたいなものだと思った。送り込む空気の反応でその人間との関係がわかったりする。灰になりきったものに再び火を灯すのはとても面倒で、吸い終わった煙草と同じ。空中に煙をくゆらせ、眺めて時間が過ぎるのをまったりする。ずいぶんとおしゃべりな人間になったものだなと感じる。言葉と言葉の隙間に異物がまぎれることを恐れるように。熱いうちに鉄を叩き続け、休んだ瞬間その形で固まってしまうことが嫌で、私の話を聞いている人はきっと掛け違えたボタンをずっと眺め続けている気分なんだろうなと思いました。

ひたすら言葉をつなぐことがいつしか息苦しくなってきたころタバコを吸うようになった。空気を送ればおくるだけ燃えるのですぐ灰にしてしまいそうなのに気づき、タバコに火をつける。タバコは吸えば灰になっていくのでちょうどいい案配。そうやって人との距離感をはかる。

27にもなると昔は自然に出来たことができなくなる。 意識して行おうとすると打算や勝算を自然に考えてしまう。それが嫌でまた私はひたすら話続ける、タバコに火をつけたことを忘れて、送り込んだ空気の分だけ燃えてほしいと思いながら。寂しがりだから