モンキーハウスへようこそ

誰の役にもたちたくない

準備と覚悟

日差しがあたたくなり、すこし歩くと汗ばむ。日陰は涼しく、朝と昼、晩と気温差が大きいので着るものにすこし迷う季節になった。何年たってもこの時期にふさわしい服装は見つけられずにいる。飲み物はホットコーヒーからアイスコーヒーに上手に切り替えれたりするのに布団は冬用のまま今日も暑さとともに起きた。

洗濯済みの洗濯物が部屋に散らかっているので畳み、憂鬱と共にクローゼットにしまいました。

 

月に一度歯医者に歯石除去をしてもらいにいくのですが、部屋の掃除の方も月に一度だれかに頼みたい。

掃除は出来ないけど歯医者の日は忘れない。たぶん外見には気を使えるが他人の見えないところには気が回らない性格がそういうふうにはたらいているのだと思う。虫歯をひとつ治療した 2270円

昼ご飯を家で取り、週末の日課の図書館に向かった。

 

4月23日 愛犬が三途の川を渡りました。13歳だった。午後の3時頃に息を引き取ったと母からのメールを確認したのは職場で一息ついたとき。"ついにか"と心の中でなにか安心した。1年と少し前糖尿病になり、目と足がだんだんと悪くなっていった。その日が遠くない未来訪れるだろうと心の準備をしていた。

物事に動じないことはいいことだと思う。すぐに対応が出来るからだ。映画や本で私がほとんど泣いたりしないのは物語の道中でたぶん心の準備を始めるからだと思う。

自分が傷つかないために、向き合わないようにする準備だ。泣くことは恥ずかしいことだと思っているから

実家では番犬としての役割を含めて3匹の犬を飼っていた。私が物心つくころには最初の3匹はいた。今はもういないが初めの1匹が亡くなったとき、その(悪く言えば補充)として入って来たのが木曜に亡くなった犬だ。

先代が亡くなったのが12月23日。その同じ日に生まれたのが次代の愛犬だ。同じ犬種でした。私は生まれ変わりだとか転成/巡り合わせなのか。そのときそれらの言葉を初めて信じたときだと思います。

人が涙がでるとき心の器からその出来事が溢れ出てしまったときです。だから私はなるべく大きな器を用意します。時間をかけて。

それが"大切なもの"であればあるほど時間をかけて準備をする。世の中をうまく生きていく上でとても大事だと思ったから。そう思ってしんじてきたから。

だから"大切なものの死"ですら、それが訪れたとき、安心したんだと思います。もう準備をしなくていいんだと。私は最低な人間なんだなと思いました。

いつからか好きなものにほど感情が動かなくなる矛盾した弱い自分ができあがった。

準備と覚悟は違う。私には向き合う覚悟がないと思いました。

 

図書館の帰りまっすぐ家に帰りたくなくて少し大回りをした。

前の携帯とパソコンのデータを引っ張りだし愛犬の画像を数枚見つけ母にメールしました。あんまり枚数がなかった

私がちょこちょこ実家に帰るのも後悔をしない準備です、あと、何回親と御飯が食べれるか分からないから。そのときが来た時後悔しない為。

来週のゴールデンウィーク、愛犬がいない実家に帰る。彼がいない小屋をみたとき彼の死と直接向き合うのだろうと。そうやってまた心の準備を始める。自分が嫌いだ