モンキーハウスへようこそ

誰の役にもたちたくない

サクラ屋珈琲店

"故郷に帰ることは、故郷に帰るってことは置いて来たものを取りに帰ることかもしれない"

そんな素敵な表現をする方がいました。

私の母にもかつて故郷があって、故郷には実家があって、定期的に顔を出していたのに、今年の正月のタイミングでやめてしまった。主のすげ変わった実家に顔出す理由がないとか、本家だとか分家だとか、たくさんの現実的な理由の代入は簡単で、そんなことより、母はもうその家に、取りに行くものがなくなったのかもしれないな、と勝手な憶測をひとつ走らせた。

 

ひとにはそれぞれ居場所があって、それが実家だったり、部屋、学校、仲間内だったり様々だ。インターネット内が居場所というひともいる。行きつけのBARかもしれない、一冊の小説の中かもしれない。戦争の殺し合いのなかにしか自分の居場所がないといっていたのはなんの映画だったろうか。

一節の文章、一杯のグラスに注がれたお酒の中に本当の自分を、一つの人生を映すひとだっているはずだ。

1つの石ころかもしれないし、そこに大小の優劣はないと思う。

忘れたものを思い出せる場所、或は もの、が居場所なのかもしれない。思いつきでテキトーなことをいいました。

 

休日は図書館通いが習慣となりマンネリの緩和剤として気がむいたので寄ってきた。

近所に去年の11月頃だったか、その喫茶店はオープンした。その前の店は自然食ダイニングだったみたいだけど行ったことはない。古民家を改装したおもむきのある内/外装だ。

オープン当初から常に駐車場は満車だったからもう少し経って空くようになってからと思っていたら4月になっていました。私はやってもやらなくてもいいものならやらない主義だから。

店内には4人組に老人と、仕事と部下の愚痴ばかりの賞味期限切れの女性2組。2階喫煙席はしらない。

某珈琲店コ◯ダを思わせるマグカップになんも変哲もない鉄板にのった名古屋名物。珈琲とナポリタン 990円

ナポリタンとは毎日食べても飽きないものではなかったのか。☆2.5

ぐるぐるとした日常の中、逃げ出したくなる時がある。古民家という異世界は自分の非日常になるのかもう少し通わなければわからないし、どっちでもいいと思います。

私はまだ実家にはたくさん、たくさん取りにいくものがあります。